微笑ましい光景

買い物をしていると、思わず笑顔になってしまう光景と出くわすことがある。

 

車椅子に乗ったおばあちゃん。
その車椅子を押すのは、旦那と思しきおじいちゃん。

高齢者が高齢者を介護する時代だと嘆かれることが多い。
実際、高齢化社会にはいろんな問題が山積みにされているのだと思う。

 

おじいちゃんがおばあちゃんの車椅子を押す光景を目にした瞬間、私も思わず思ってしまった。

大変そうだなぁと。

 

おじいちゃんだって、結構のご高齢のはずだ。
車椅子に乗ったおばあちゃんと大差はないだろう。

でも、大変そうだと感じたのは、大きな間違いだったと思わされることになる。
その光景に、悲しみや苦労はうかがえなかったのだ。

 

何が欲しいかとおじいちゃんが尋ね、おばあちゃんが考えながら答える。
会話の内容までは届いてこなかったけれど、
場所が食品売り場だったので、その日の夕食の材料でも調達していたのかもしれない。

 

「何を食べたい?」「何を作ろうか?」

あれがいいか、これがいいか。

 

二人で楽しげに夕食の献立を考えながら、商品を見比べているような様子だ。
今にも、おばあちゃんの上品な笑い声が聞こえてきそうだった。

 

大変であることには、違いないのかもしれない。

でも、「大変=苦しみ」とは限らない。

大変の中の楽しみ。大変であるからこその、幸。
そんなものがあるのだと、実感させられた。

 

おそらく、昔はこうはいかなかっただろう。
おじいちゃんが現役でバリバリ働き、おばあちゃんは家事に追われていた頃。

二人でこんな風に買い物に出かけることなど、滅多になかったのではないか。

今でこそ、味わえる楽しみなのだろうと思う。

 

今だからこそ、二人で分け合える時間があるのだと思う。

 

車椅子を押してレジに向かうおじいちゃんの背中は、とても大きく見えた。
仕事での現役は退いても、家庭ではまだまだ現役なんだ。

そして、車椅子に乗ったおばあちゃんは、そんな旦那様を誇らしく思っているように見えた。

 

「この方が私の旦那様よ」

そんな得意げな声が、今にも聞こえてきそうだった。

 

 

私の両親にも、いつかこんな日が訪れるだろうか。
訪れてほしいと思う。

毎日の買い物。ほんのわずかな時間。
その時間を一人で過ごすか、それとも誰かと過ごすかでは、大きく違う。

何を買うか、一人で決めてしまうのは簡単だ。

 

だけど、誰かと相談しながら決めるのも、また楽しい

その誰かが、最愛の人だとなおのこと。

 

「一緒に買い物をすると、口出しされてうるさくて…」
そう言って、旦那との買い物を嫌う人もいる。

一緒に買い物をしたくないと口では言いながらも、
顔には「本当はそれも楽しいんだけどね」と書いてあるように見えるのは、
強ち気のせいではないだろう